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研究用

総説:トランスオミクス

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幡野先生
新潟大学医歯学系システム生化学分野(松本雅記研究室)助教

幡野 敦先生

 

はじめに

細胞はDNA、RNA、タンパク質、代謝物と多様な物性を持った物質から成り立つ。これらはそれぞれが複雑に絡み合い巨大なネットワークを形成しているが、その全体像はほとんどわかっていない。近年、さまざまなオミクス計測技術およびバイオインフォマティクスのデータ統合手法によりこのネットワークをin silicoで再構築する取り組みがなされている。中でも複数のオミクスデータを生化学反応をもとに統合するトランスオミクス解析は新たなネットワーク解析手法として注目されている。本稿ではトランスオミクス解析の背景とその実現に必要なオミクスデータの取得方法について紹介する。

トランスオミクス解析とは

細胞はDNA、RNA、タンパク質、代謝物と多様な物性をもつ生体物質により成り立っている。これらは独立に存在するわけではなく、それぞれが互いに影響する極めて複雑なネットワークを形成している。この複雑なネットワークの全体像を捉えることは生命科学が目指す究極のゴールの一つである。これまで相関を中心としたネットワーク解析や既知の情報を集めたネットワーク解析など様々なネットワーク解析法が提案されてきた。また各種オミクスデータを用いて独自のオミクスデータに基づいたネットワーク解析法が開発された。しかしオミクスデータのフォーマットがそれぞれ異なることや各オミクス階層をつなぐ統合技術が未整備であったことから、多階層に渡る網羅的データからネットワークを再構築・解析することはほとんどなされていなかった。

近年、細胞内ネットワークを構築・解析する新たな方法としてトランスオミクス解析が着目されている。トランスオミクス解析は複数のオミクスデータをバイオインフォマティクスにより生化学反応をもとに統合するネットワーク構築手法である。トランスオミクス解析の最大の特徴は生化学反応が存在する分子間(階層間)をデータベースおよび配列推定を用いて繋ぐところにある。Yugiらが2016年に投稿した論文では肝がん細胞であるFAOをインスリン刺激し時系列に取得したリン酸化プロテオームデータとメタボロームデータをもとにトランスオミクス解析を行った。彼らは(1)キナーゼ階層、(2)代謝酵素、(3)代謝物の3階層にデータベースをもとに分子を分け、インスリンからキナーゼ、キナーゼから代謝酵素のリン酸化、代謝酵素のリン酸化から代謝物の制御ネットワークを再構築した。(1)と(2)はリン酸化プロテオームのデータ、(3)はメタボロームデータを使用し、(1)と(2)はリン酸化部位の配列から推定、(2)と(3)はKEGGの情報を用いてデータ統合を行った(図1)(i)。また得られたネットワークより一部を切り出し、代謝酵素と代謝物からなる生化学反応モデルを構築し、反応に関わる代謝酵素のリン酸化が重要であることを示している。このようにトランスオミクス解析は複数のオミクスデータを駆使し、細胞内で起こる生化学反応を網羅的に記述できる可能性を秘めた解析手法である。

図1

図1. Yugi らのトランスオミクス解析 の概略図。
(1)キナーゼと(2)代謝酵素はリン酸化プロテオミクスのデータを使っている。(3)代謝物層はメタボロームのデータを使っている。階層間は(1)と(2)は配列推定により繋いでいる。(2)と(3)は K EGG の情 報をもとに 繋 いでいる。

トランスオミクス解析で扱うネットワークとオミクスデータ

トランスオミクス解析は前半の事前知識およびオミクスデータによるネットワークの再構築と後半のオミクスデータによる生化学反応モデルによる解析に分かれる。ここでトランスオミクス解析において鍵となるネットワークについて整理し、どのようにトランスオミクス解析に最適なオミクスデータ取得法を選択しているかを紹介する。

これまでの生命科学において、「ネットワーク」という言葉は文脈に応じて異なる意味で用いられてきた。トランスオミクス解析も異なる意味を持った3つのネットワーク:「地図」「静的シグナルフロー」「動的シグナルフロー」を内包している。「地図」は既知の分子間相互作用の総体からなるネットワークである。これは道路ネットワークの地図(map)と同様にすでに登録されている全ての道に相当する。「静的シグナルフロー」は実際に経路(route)として使われる可能性がある道を意味し、「地図」のうち研究対象とする細胞で存在する分子間相互作用ネットワークを示す。3つ目の「動的シグナルフロー」は道路ネットワークにおける交通量(traffic)に当たり,ネットワークを介して経路を実際に流れる物質量あるいは情報量を意味する(ii)。この3つの生化学反応をもとにしたネットワークがトランスオミクスの本体であり、これらに最適なオミクスデータを取ることが重要となる。

トランスオミクス解析のデータは興味がある生化学反応に合わせて取得することになる。例えば代謝反応を対象とした場合は代謝物と代謝酵素の”活性”を知ることが必要である。ここで問題になるのが代謝酵素の”活性”をどのように定量するかである。残念ながら現在のオミクス技術では一つ一つの酵素活性を網羅的に定量する方法は存在しない。そこで活性に近い情報をオミクス技術により定量し代用している。Yugiらの論文では代謝酵素のリン酸化=代謝酵素の”活性”として生化学反応モデルを構築している。近年のオミクス計測技術では活性に近い情報の取得が一つのトレンドとなっており多様なオミクス手法が報告されている。これまでにタンパク質の構造の違いを定量解析するプロテオミクス技術や分子間の結合を定量するプロテオミクスが開発され、これらを活性とした生化学反応モデルの可能性が議論されている(iii)。またプロテオミクス以外にもクロマチン構造の活性情報を反映したATAC-seqやRNAのターンオーバーを定量するBRIC-seqなどそれぞれのオミクス階層において新たな定量手法が開発されている(iv,v)。これらの技術はトランスオミクス解析と相性が良いことから近い将来にトランスオミクス解析で採用されることが期待される。

図2

図2. トランスオミクス解析に含まれる3つのネットワーク。
Mapは全路線図。Routeは目的地までの経路の候補。Trafficはそれぞれの経路をどの程度交通量があるかを示す。生体内のネットワークでも同じように考えることができる。

トランスオミクス解析の課題と将来展望

最後に現状のトランスオミクス解析が抱えている課題について紹介する。まずデータ統合に関してはデータベースの正確性や拡張性が指摘されている。特に細胞の違いなどによるネットワークの齟齬が大きな問題となっている。一つの解決策は細胞の違いなども反映したデータベースを作ることであるが、これには莫大な時間と労力がかかる。またオミクスデータの取得に関して計測のスループットが課題となっている。トランスオミクス解析では時系列データなど多サンプルの定量解析が必要となる。しかし現状のオミクス解析はコスト(人的・金銭的)の問題があり、多サンプル計測はなかなか実現できていない。シークエンサーでは近年マルチプレックス化により劇的に改善しているが、プロテオミクスやメタボロミクスなどの質量分析計を用いた解析手法ではハイスループット化にもうしばらく時間がかかると思われる。

現在のトランスオミクス解析はまだ概念実証の域を出ていない。今後新たなデータや解析手法と融合することでトランスオミクス解析がより実用的になることが期待される。そのためには新たなオミクス技術の開発とバイオインフォマティクスの開発が必須となるだろう。

引用文献

  1. Yugi K, Kubota H, Toyoshima Y, Noguchi R, Kawata K, Komori Y, et al. Reconstruction of insulin signal flow from phosphoproteome and metabolome data. Cell Rep 2014; 8: 1171?1183.
  2. Yugi K, Kubota H, Hatano A, Kuroda S. Trans-Omics: How To Reconstruct Biochemical Networks Across Multiple “Omic” Layers. Trends Biotechnol 2016; 34: 276?290.
  3. 幡野 敦, 黒田 真也, プロテオミクス研究におけるトランスオミクス解析の可能性 日本プロテオーム学会誌 2018; 3(2): 37-45.
  4. Buenrostro JD, Giresi PG, Zaba LC, Chang HY, Greenleaf WJ. Transposition of native chromatin for fast and sensitive epigenomic profiling of open chromatin, DNA-binding proteins and nucleosome position. Nature Methods. 2013; 10 (12): 1213?1218.
  5. Tani H, Mizutani R, Salam KA, Tano K, Ijiri K, Wakamatsu A, et al., Genome-wide determination of RNA stability reveals hundreds of short-lived non-coding transcripts in mammals. Genome Res 2012; 22 (5): 947-956.

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