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2009:シグナル伝達の「ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー」

2009: Signaling Breakthroughs of the Year

Editorial Guides

Sci. Signal., 5 January 2010
Vol. 3, Issue 103, p. eg1
[DOI: 10.1126/scisignal.3103eg1]

Elizabeth M. Adler*

Senior Editor of Science Signaling, American Association for the Advancement of Science, 1200 New York Avenue, N.W., Washington, DC 20005, USA.

要約:本年のシグナル伝達ブレークスルー・オブ・ザ・イヤーの候補には、生理学、治療法と医薬品の開発、神経科学、および植物のシグナル伝達が含まれる。

Science Signaling編集部は、シグナル伝達ブレークスルー・オブ・ザ・イヤーで、細胞シグナル伝達研究の新年、そして新たな10年へと読者の皆様を歓迎する。この年1回の特集号では、Science Signaling編集部委員と他の細胞シグナル伝達の研究者に、シグナル伝達の今年のブレークスルー、すなわち、シグナル伝達の分野における前年の最もエキサイティングな進歩を報告した論文を推薦してもらっている。2009年はScience Signalingが一次調査論文の発表を開始してから初めての丸一年間であった。Science Signalingに発表された複数の論文が、シグナル伝達における最もエキサイティングな研究の例として推薦されたことに、われわれは感激を覚えている。2009年シグナル伝達ブレークスルー・オブ・ザ・イヤーの候補を挙げて下さったすべての科学者の皆様に感謝申し上げ、細胞シグナル伝達における革新的な進歩について今年の簡単な一覧を掲載させていただく。候補を挙げて下さった方は、以下のとおりである。Joanne Chory(ソーク研究所、USA)、Gilberto Fisone(カロリンスカ研究所、スウェーデン)、David Fruman(カリフォルニア大学アーバイン校、USA)、Rune Linding(癌研究所(ICR)、イギリス)、Gerard Manning(ソーク研究所、USA)、御子柴克彦(理化学研究所、脳科学総合研究センター)、Norbert Perrimon(ハーバード大学医学部、USA)、Solomon Snyder(ジョンズホプキンス大学、USA)、Eric Vivier(マルセイユ-ルミニ免疫学センター、フランス)、Peter Vogt(スクリプス研究所、USA)、John Walker (ミズーリ大学、USA)、Michael Yaffe(マサチューセッツ工科大学、USA)、およびJean Zhao(ダナ・ファーバー癌研究所/ハーバード大学医学部、USA)。今年の候補には、シグナル伝達経路の従来の境界を覆す研究の治療応用、免疫抑制薬が中年マウスの寿命を延ばすことができたという発見、植物ストレスホルモンのアブシジン酸の受容体の同定、総合失調症と学習に関する新たな洞察、ヒト気道上皮細胞が有害物質を「味わう」という発見、遺伝子にコードされた光活性化が可能なタンパク質を用い、多様な細胞過程の正確な時空間的制御を可能にする技術、そして細胞シグナル伝達における他の刺激的な多くの発見が含まれる。

シグナル伝達研究の展望の1つには、がんなどのヒト疾患に関連する機能異常応答を媒介する経路をより良く理解することによって、より新しく、有効で、選択的な治療がもたらされる可能性があることが挙げられる。ヒトの多くのがんは、RASファミリーのグアノシントリホスファターゼ(GTPase)の活性化変異を有する。実際に、KRASはヒトのがんにおいて最も共通に活性化されている腫瘍タンパク質である。しかし、腫瘍形成性KRASと既知の下流エフェクターは、今までのところ、抗新生物薬にとっては手に負えない標的である。Fruman、Manning、Vogt、およびZhaoは、腫瘍形成性KRASに関連するタンパク質と経路を同定した複数の研究グループによる論文を候補に挙げた。これらの研究は、例えば、従来は「RASシグナル伝達経路」の一部として考えられなかったキナーゼなど、新たな治療標的をもたらし、抗がん療法をより容易にする可能性がある(1-6)。ハイスループットRNA干渉(RNAi)スクリーニングを用い、Barbieら、Luoら、およびSchollらは、腫瘍形成性KRASとの合成致死性相互作用に関与するキナーゼ(それぞれTBK1、PLK1、およびSTK33)を同定した(1,2,4)。Singhらは、別のアプローチをとって、腫瘍形成性KRASシグナル伝達に生存を依存するがん細胞に特徴的な遺伝子発現特性を定義し、それによって、キナーゼSYKおよびRON(MST1Rとしても知られる)を治療標的候補として同定した(5)。これらの研究は、「腫瘍形成性Rasシグナル伝達」の限界を広げた点で注目に値する。たとえば、TBK1が核因子κB(NF-κB)シグナル伝達経路を活性化する一方で、PLK1は有糸分裂キナーゼである。Meylanらによる論文は、NF-κBシグナル伝達を肺がんのマウスモデルにおける腫瘍増殖にきわめて重要であると意味付け、さらに、NF-κBシグナル伝達の抑制は、腫瘍形成性KRASが誘導する腫瘍に対して期待できる治療選択肢になるかもしれないという考えを立証した。

SchollらとBarbieらによる研究にコメントを添える中で、Manningは、次のように述べている。「大規模なRNAiスクリーニングによって、キナーゼSTK33およびTBK1は、KRAS誘導性腫瘍に特異的に、増殖に必要不可欠であることが確認された。このようなスクリーニングは、あまり機能がわかっていない多くのヒト遺伝子(STK33は事実上その機能が記述されておらず、TBK1はあまり知られていないIκBキナーゼのパラログである)の重要性、そして明白な線形シグナル伝達経路を超えた視点で、可能性のある新しい治療標的を見出すことの大切さをよく浮き彫りにしている。」

「明白な線形シグナル伝達経路」を超えた視点の重要性は、in vivoの状況をより現実的に反映する複雑なネットワークへのシグナル伝達において研究者にはよく認識されており、そのような研究を可能にする方法の出現と共に、昨年のシグナル伝達ブレークスルーに現れたテーマであるが、今年も他の複数の候補論文によって強調された。Manningは、2つ目の候補研究にChangらによる論文を選んだ。Changらは、RASシグナル伝達ネットワークを分解してモジュール[ホスファチジルイノシトール3-キナーゼ(PI3K)によるAKTのリン酸化や活性化のようなシグナル伝達活性の単位]にし、特定のモジュールには異なるがんのクラスにおいて異なるRAS機能に対して特異的な重要性があることを示した(7)。もちろん、このような非線形解析は、細胞シグナル伝達に対するわれわれの視点をとてつもなく複雑化する。Manningはこれ皮肉って次のようにコメントした。「ヒートマップという万華鏡は、シグナル伝達の緻密な詳細がもはや二元的でも明瞭でもなく、統計学的解析のレンズを通してしか見ることができないこと、すなわち幸せな革新というよりは悲運の前触れかもしれないというがっかりするような反応を起こさせる。」(1)。Perrimonは、マウス樹状細胞の病原体に対する転写応答を支配する調節ネットワークを定義したAmitらによる論文を候補に挙げ(8)、次のように述べている。「この論文は、細胞への刺激、この場合には病原体による刺激に対する転写応答を制御する調節ネットワークのロジックを徹底的に調べるために、新しい定量的ゲノミクス方法論と計算ツールを系統的に適用することの力を例示するものである。将来、この一般的でバイアスのない方法を、例えばシグナル伝達リガンドなどの他の刺激に対して適用することが、シグナル伝達のロジックを解くためのとっておきの方法になる可能性が高い。」Lindingは、いくつかの候補の1つにSchoeberlらの論文を選んだ。この論文では、ErbBファミリーのシグナル伝達ネットワークの計算的解析を用いて、リガンド刺激されたErbBからPI3Kへのシグナル伝達と関連するがんの期待できる治療標的として、触媒活性のあるErbB3を同定した(9)。Lindingはこの研究を「先駆的」と表現し、「ネットワーク生物学に基づく創薬は絶対に必要であり、極めて強力である」ことを示したと述べた。言及に値する他のネットワークレベルの研究としては、2つの相互作用している細胞集団におけるシグナル伝達を、同時にかつ独立に観察する技術を適用することによって、EphB2-エフリンが媒介する細胞間コミュニケーション(組織形成にとって極めて重要な系)について解析したJorgensenらによる研究(10)、およびショウジョウバエ(Drosophila)におけるNotchシグナル伝達を解析して個体全体のRNAiスクリーニングを示したMummery-Widmerらの研究(11)などがある。

Figure 1図1.
ヒートマップがシグナル伝達の複雑さをあばく。ヒートマップは、タンパク質相互作用ネットワーク[shown here as data from Humphries et al. (15))、転写調節、リン酸化状態などの様々なタイプの調節を反映することができ、細胞調節系の複雑さを明らかにする。[Credit: Adam Byron/University of Manchester]

この種のネットワークレベルの解析は、大量のデータの迅速な蓄積と解析を可能にする方法論に大きく依存するので、Science Signaling科学編集長Michael Yaffeは2009年を「データ・ダンプの年」と宣言した。Yaffeは、特定の知見を2009年のシグナル伝達ブレークスルーとして推薦するのではなく、データベースへの情報の堆積、特に翻訳後修飾の大規模なデータセットを今年のブレークスルーとして注目した。Yaffeは、この点で特に顕著な功績としては、「リジンアセチル化の包括的研究(12)、酵母におけるCDK1基質の同定(13)、細胞の「受け(receiving)」「渡し(sending)」においてエフリンが誘導する異なるチロシンリン酸化タンパク質(10)、T細胞シグナル伝達のホスホプロテオミクス(14)、およびインテグリンシグナル伝達複合体のプロテオミクス解析(15)がある」とコメントした。

データの蓄積および解析における進歩はまた、進化への新たな洞察を可能にした。原生生物襟鞭毛虫(Monosiga brevicollis)におけるチロシンキナーゼシグナル伝達ネットワークに関する自身の論文が昨年のシグナル伝達ブレークスルーの候補に挙がったManningは、酵母におけるサイクリン依存性キナーゼCDK1によるリン酸化部位の進化に関するHoltらの論文(13)を推薦した。「質量分析法のさらなる進歩のおかげで、この論文は、酵母において全タンパク質の(しばしば引用される数字である)30%がリン酸化されていることをついに立証した。類似する論文によって、さらに他の生物種、多くのタイプの組織、生理学的状態にまでカタログが作成され、この研究が掘り下げられると確信する。CDK1シグナル伝達に注目が集まっているが、この部位カタログの広がり自体だけでもブレークスルーに値する。これらのリン酸化部位の保存に関する最初の解析では、大部分のリン酸化部位が進化的に不安定であり、機能的に必須ではないか、あるいはタンパク質配列内で可動的であることが示唆された。これらの部位の規模と不安定さから、単純なモデル系においてさえもタンパク質リン酸化の包括的な調節と機能を理解することがどれほど挑戦的であるのかがわかる。」

Tanらの一組の論文は、タンパク質リン酸化ネットワークの進化へのさらなる洞察を示した。1報目は、ヒトおよび複数のモデル生物におけるタンパク質リン酸化の比較プロテオミクスおよびネットワーク進化の研究(16)について述べ、ヒト疾患への洞察をもたらした。2つ目の研究からは、チロシン欠損がシグナル伝達系のノイズの制御機構を提供するかもしれないことが示唆された(17)。

多様な増殖因子受容体の下流で作用するPI3Kを介するシグナル伝達は、ヒトのがんの発症機序、ならびにさまざまな非哺乳類生物における老化と関連付けられてきた。これは、TOR(target of rapamycin:ラパマイシンの標的タンパク質)キナーゼを介するシグナル伝達についても同様である。TORキナーゼは、PI3K-AKT経路からのシグナルを栄養状態に関する情報と統合して、細胞の成長および増殖を制御する。PI3K-AKT経路およびTORシグナル伝達に関するわれわれの理解の進歩は、過去のシグナル伝達ブレークスルーで大きく取り上げられており、2009年も例外でない。PI3Kシグナル伝達、AKTシグナル伝達、TORシグナル伝達、あるいはこれら3つの組合せに関連する研究は、Fruman、Manning、Snyder、Vogt、およびZhaoからの推薦を獲得した。Zhaoは、PI3Kシグナル伝達経路のこれまでは知られていなかった調節因子を同定した3つの研究を候補に挙げた。Yangらは、E3ユビキチンリガーゼTRAF6がAKTユビキチン化を促進し、それによってAKTの膜への動員とリン酸化を促進することを明らかにした(18)。これは、以前はおもに自然免疫応答における役割が知られていたTRAF6を、腫瘍形成性PI3Kシグナル伝達に関連付ける可能性のある特性である。Fineらによる研究から、グアニンヌクレオチド交換因子(GEF)P-REX2a(phosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate RAC exchanger 2A:ホスファチジルイノシトール3,4,5-トリスリン酸RAC交換因子2A)が腫瘍抑制因子PTEN(phosphatase and tensin homolog on chromosome 10:第10染色体上ホスファターゼ・テンシン・ホモログ)と相互作用して活性を阻害することによって、PI3K経路の活性化を促進する(19)ことが示された。PTENは、よく知られた腫瘍抑制因子であり、ホスホイノシトール-リン酸脂質を脱リン酸化することによって、PI3K経路を介するシグナル伝達を制限する。3報目のGewinnerらによる論文は、脂質ホスファターゼINPP4B(inositol polyphosphate 4-phophatase type II:タイプIIイノシトールポリリン酸4-ホスファターゼ)を、PI3K経路における可能性のある2つ目の腫瘍抑制因子として同定した(20)。Gewinnerらは、PTENおよびINPP4Bの二重欠損が、ヒト乳腺上皮細胞の老化を促進することを示した。さらに興味深いことに、かなりの割合の基底様乳がんおよび卵巣がんに、INPP4B遺伝子座のヘテロ接合性欠失がみられることを明らかにした。VogtはPI3Kシグナル伝達の焦点を免疫系に移し、成熟B細胞の生存がPI3K経路だけに依存しているという驚くべき発見をしたSrinivasanら(21)の研究を候補に挙げた。この研究は、B細胞抗原受容体(きわめて重要な生存シグナルを媒介する)を欠損した成熟B細胞の生存が、恒常的活性化型PI3KあるいはPTENの欠損によって救済されることを示した。この研究を説明する中で、Vogtは次のように述べている。「この論文は...、基本的な結論を裏付ける見事に洗練された遺伝子的アプローチが際立っている。」

前年の研究発表を振り返り、どの研究が最も予想外であったか、どの研究が将来の研究の方向性を開く可能性が最も高いかを熟考する過程は、ことによると本質的に、時の流れを感じさせるものである。したがって、Fruman、Manning、およびZhaoが全員、TOR阻害薬ラパマイシンを若くないマウス(人間の約60歳に相当するマウスで開始)に摂取させると寿命がかなり延長する(22)ことを示したHarrisonらの論文に言及したのは意外ではないかもしれない。Manningは「中年時代が何年も延びることにワクワクしない人がいるだろうか!」と表現し、この論文は「通常、大部分は細胞培養において不十分にしか研究されない分野における薬理学的および全個体的介入の珍しい例」と付け加えている。Frumanは、「mTORとその基質が老化を促進するという発見」に関するHarrisonら、Chenら、Selmanら、およびZidらの論文を候補に挙げる際に、次のようにコメントしている。「インスリンおよび関連ホルモン受容体によるPI3Kの活性化は、さまざまな生物において老化を促進することが知られている。ハエおよび線虫のモデル系において、FOXO転写因子とTORは、寿命制御と関連のあるPI3Kシグナル伝達ネットワークの2つの異なる中核をなしている。本年は、3つの論文によって、マウスにおけるTORシグナル伝達の抑制が寿命を延ばすことが示された(22-24)。これらの論文のうちの1つでは、遺伝学的アプローチ(TOR複合体-1(TORC1)の基質S6K1の除去(24))を用いている。他の論文では、現在炎症性疾患やがんに対して臨床使用されているTORC1阻害薬ラパマイシンを用いている(22,23)。これらは、個体老化における哺乳類のTORシグナル伝達の役割を示した最初の研究である。別の重要な研究では、ハエにおいて、異なるTORC1基質(4E-BP)が特定のmRNAの翻訳を促進することによって寿命を制御することが示された(25)。これらの進歩は、TORやその基質を標的とする分子を用いた抗老化薬物療法の開発の可能性へ新たな扉を開くものである。」 さまざまな生物において寿命を延ばして老化を先延ばしする操作である食事(すなわちカロリー)制限は、多様な腫瘍の発生や増殖を低減することも発見されている。このテーマの最終候補として、ZhaoはPI3K経路を食事制限の腫瘍抑制効果に関連付けたKalaanyとSabatini(26)の論文を推薦した。興味深いことに、KalaanyとSabatiniは、恒常的活性化型PI3Kシグナル伝達を有する腫瘍が食事制限の有益効果に対して抵抗性であるのに対して、PTENを欠くがん細胞株にPTENを導入したり、恒常的活性化型変異PI3Kで野生型PI3Kを置き換えたりすることによって、感受性が回復することを発見した。

Snyderはまた、AKT-mTOR経路の研究にも注目し、総合失調症に直接関連付けられた最初の遺伝子disrupted-in-schizophrenia 1(DISC1)が、AKT活性化を抑制することによって成体海馬における新生神経細胞の発達を調節することを示したKimら(27)の研究を候補に挙げた。注目すべきことに、DISC1ノックダウンに伴う発達障害は、ラパマイシンによって救済可能であった。Snyderは、足場タンパク質DISC1が神経発生に関与することが示されたと述べ、さらに詳しく言及した。「mTOR栄養系を調節することがよく知られているAktが、発達障害としてよく認識されている総合失調症とも関連付けられた。この論文は、成体海馬の新規発生神経細胞におけるDISC1の抑制がAktの過剰活性化を引き起こすことを示している。DISC1欠損に伴う神経発生異常とAkt過剰発現に伴う異常は非常によく似ている。これらの2つの系を相互に関連付けることによって、神経発生について多くのことが明らかになり、総合失調症の基盤をなす発達異常の解明に役立つかもしれない。」

Snyderと同様に、Fisoneは中枢神経系に留意して、Paganiらの研究を推薦した。この研究は、RASの活性化からマイトジェン活性化プロテインキナーゼ(MAPK)シグナル伝達経路を促進するチロシンホスファターゼのSHP2[Src homology 2 (SH2) domain-containing protein tyrosine phosphatase 2:Srcホモロジー2(SH2)ドメイン含有タンパク質チロシンホスファターゼ2]のハエのホモログを、ショウジョウバエの長期記憶の獲得に関連付けた(28)。休憩を間に入れて分割した訓練セッションは、同等の訓練セッションをひとまとめに行うよりも効率的に記憶を引き出す。この現象は「分散効果」として知られる。Paganiらは、このような間に入れる休憩の長さがSHP2活性に依存し、MAPKシグナル伝達を延長するSHP2機能獲得変異が長期記憶を損なうことを発見した。Fisoneは次のように説明する。「MAPK経路は、(中略) 休憩期間中に活性化され、次の試行への曝露に際して[ベースラインに]リセットされる。SHP2の機能獲得変異はMAPK活性化を延長することによって、MAPKのリセットを阻害する。面白いことに、変異SHP2を薬理学的に部分阻害すると、この系をリセットして長期記憶の形成を回復させるのに十分な程度にまでMAPK活性が低下する。」彼は、SHP2の機能獲得変異は、学習障害および軽度精神遅滞を伴う遺伝性疾患のヌーナン症候群と関連付けられたと述べ、次のようにコメントした。「MAPKシグナル伝達の活性化は、長期行動応答に必要な重要な要素であると考えられる。この研究は、このシグナル伝達経路の効率的で時間的に管理された不活性化が、これらの過程において同じくらい重要であることを見事に示している。」

中枢神経から末梢神経機能に目を移し、Vivierは、副交感神経活性を免疫系の発達と結びつけたvan de Pavertらの研究(29)を候補に挙げた。ビタミンA代謝物のレチノイン酸は、神経系の発達にきわめて重要であり、近隣のニューロンから放出される可能性が高い。レチノイン酸は、リンパ組織誘導細胞のクラスター形成に必要なケモカインの発現および産生を刺激し、それによってリンパ節発生の開始を促進した(29)。Vivierはまた、Ivanovら(30)の論文を候補に挙げた。この論文は、共生微生物と胃腸(GI)管にそれらが生息する哺乳類の関連性に新たな光明を投じたものであり、マウスGI管に特定の微生物、すなわちセグメント細菌を定着させるだけで、小腸の粘膜固有層において特定クラスのリンパ球(インターロイキン-17(IL-17)およびIL-22を分泌するヘルパーT細胞(Th17細胞))の蓄積が誘導され、腸病原体に対する防御が得られることを示した(2)。

Figure 2図2.
腸のセグメント細菌[Adapted from Ivanov et al. (30), copyright Elsevier Inc.]

ChoryとWalkerは、植物シグナル伝達の分野において前年中に現れた最もエキサイティングな研究として、干ばつのような環境ストレスに対する反応を調節する植物ホルモンのアブシジン酸(ABA)の受容体の同定を候補に挙げることで意見が一致した(31-41)(3)。この発見をもたらした一陣の研究は、Maら(31)およびParkら(32)の論文が発端となった。これらの論文では、PYR/PYL/RCARタンパク質ファミリーのメンバー(PYR、PYL、RCARは、それぞれpyrabactin resistance、PYR-like、regulatory components of ABA receptor)がABA受容体として作用することが示唆された。続いて、Fujiiらがin vitroでシグナル伝達経路を再構築し(33)、複数のグループがABA受容体の結晶構造(34-38)を報告した。Walkerは候補を挙げるにあたって、「何年もの間、植物ホルモンABAの受容体を同定したと主張する報告がいくつもあった」と述べて次のように続けた。「複数のタイプのABA受容体が存在する可能性は依然としてあるが、これらの論文が示した研究は、植物の成長および発達のホルモンによる調節に関するわれわれの理解における主要なブレークスルーである。」

Figure 3図3.
二量体PYR1の結晶構造。PDBファイル3K3Kに基づく構造[Credit: Yana Greenman/AAAS]

今年のシグナル伝達ブレークスルーの多くは、大規模なデータセットを獲得して解析することを可能にする方法論の開発に依存したものであった。Lindingと御子柴による次の一連の候補は著しい技術的進歩に関連するものである。御子柴の最初の候補は、異なる研究グループによる一連の論文であり、多様な細胞過程の正確な時空間的制御を可能にする、遺伝子にコードされた人工光活性化タンパク質に関連する研究について述べたものである(42-44)(4)。Airanらは、ロドプシン(光によって活性化される)に由来する細胞外領域および膜貫通領域を含むが、ロドプシンの細胞内ループを別のGタンパク質共役受容体(GPCR)のものと置き換えたキメラタンパク質を用いた。これは、特定のGタンパク質媒介経路を光で選択的に活性化することを可能にする技術である(42)。注目すべきことに、側坐核において特定サブタイプのアドレナリン受容体が媒介するシグナル伝達を光活性化することによって、マウスの条件付け場所嗜好性に影響を与えることができた。別の研究でWuらは、低分子量GTPアーゼRac1のキメラ型を可逆的に刺激した。このキメラ型Rac1では、カラスムギ(Avena sativa)フォトトロピン1の光反応性LOV(light oxygen voltage)ドメインが、光によって活性化されるまで、恒常的活性化型Rac1のエフェクターへの結合を遮断し、培養細胞において方向性のある遊走を誘導する(43)。Lindingも候補に挙げた3つ目の研究では、Levskayaはシロイヌナズナ(Arabidopsis)フィトクロームBと転写因子phytochrome interaction factor 3(フィトクローム相互作用因子3)との光依存性相互作用を利用し、RhoファミリーGEFの触媒領域を含むキメラを哺乳類細胞の細胞膜に可逆的に動員することによって、細胞形態の局所的変化を誘導した(44)。御子柴が最後の候補に選んだのは、組換え遺伝子を子孫に伝えることができる遺伝子組換え霊長類(マーモセット)の開発を報告した論文である。御子柴は、この非ヒト霊長類遺伝子組換えモデルの開発を「疾患機構、再生医療、および変性疾患の生物医学研究にとってはかりしれなく貴重」と評価し、新分野の幕開けと予告した(45)。

Figure 4図4.
光による切替え可能なタンパク質。新しい手法によって、タンパク質活性の光による制御が可能になった。図は細胞を光に曝露することで局在化が変化するタンパク質のイメージ[Credit: Yana Greenman/AAAS]

今年の候補に浮上した主要なテーマは、特定のシグナル伝達経路を同定するために用いられた従来の境界を超えた視点の重要性である。その結果、たとえば「NF-κBシグナル伝達経路」の要素が「Rasシグナル伝達経路」の過剰活性化を伴うがんの治療における効果的な標的になるかもしれない。同様に、最初に特徴が調べられ、そしてある場合にはそれにちなんで名前が付けられているタンパク質にかんして、その機能と全く関係のない予想外の機能が同定されることは、例外というよりは普通のことになりつつある。Snyderが挙げたわれわれの最後の候補は、臓器レベルにおいて同様のことを示した。これは、ある状況における機能がよくわかっているシグナル伝達系が、非常に意外なことに、別の系に姿を現す興味深い例である。Shahら(46)は、気道上皮細胞の繊毛には味覚受容体があり、繊毛振動頻度を増大させることによって苦味物質に反応しうることを発見した(5)。Snyderは次のように説明する。「気道の運動繊毛には苦味受容体があり、IP3-カルシウムを介してシグナルを送り、有害刺激物を吐き出させる。これは、運動繊毛が運動性であるのに加えて感覚性であることを示す初めての証拠である。おそらく、空中の危険な粒子、ことによると細菌の苦味様産物がこのような受容体の天然リガンドである。このように、自然は、からだから環境の脅威を取り除くという共通の目標を達成するために、根本的に異なる臓器の感覚系を巧妙に利用したのである。」

Figure 5図5.
気道の味[Figure reproduced with permission from (47). Credit: Nayomi Kevitiyagala/AAAS]

Science Signaling編集部は、この革新的で境界を押し広げる研究の小旅行を楽しんだ。読者の皆様にもお楽しみいただけただろうか。シグナル伝達における新しい年のエキサイティングな未報告の発見が明かされるのを、今後もScience Signalingで一緒にお読みいただければ幸いである。

From E. M. Adler, 2009: Signaling Breakthroughs of the Year. Sci. Signal. 3, eg1 (2010). 2010 AAAS. All rights reserved.

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