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技術情報

酪農食品科学特論 - 機能性ミルクタンパク質実験講座 - 改訂版

記事ID : 13140

I.構造編-7.質量分析計によるフラグメントの質量決定


質量測定の原理

これまでの実験操作によって、モノクローナル抗体を作成した抗原から、抗体との反応性を保持したペプチドを得ました。次の段階は、そのペプチドの大きさを正確に知り、さらに一次構造すなわちアミノ酸配列を決めることです。そこで、まずそのペプチドの質量を正確に知るために、MALDI-TOF MSによる測定を行いました。この測定方法は試料のイオン化のためにレーザー光(波長337 nm)のパルス照射を用いる方式で、イオン化促進試薬(マトリックス)が励起状態になり、そこから得られるエネルギーで試料が蒸発し、真空中でプロトン移動などによってイオン化します。このイオン化した試料は加速電圧によって運動エネルギーを得、フライトチューブ中を検出器に向かって飛行します(図7-1)。


図7-1. MALDI-TOF MSのフライトチューブの模式図。フライトチューブ中は真空(10-6 Torr)。

この時、試料分子の質量の大小によって飛行時間に差が現れ、小さい分子ほど早く検出器にまで到達します。一般に、測定可能範囲は500 kDa位まで、分解能は5,000以上、測定質量精度は0.01%程度です。この意味は10,000 Daの物質を測定した場合、誤差は0.5 Da以内になるということです。ただし、測定精度はキャリブレーション(較正)の仕方で変わり、一般に内部標準法の方が外部標準法よりも高くなります。

測定用試料の調製

ペプチド試料の場合は0.1 % TFAに5〜10 pmol/µLに溶解し、イオン化促進試薬を10 mg/mL程度の濃度でTFA(0.1%)/アセトニトリル/水(1:1)に溶解します。ペプチド量が0.5〜2 pmol/µLとなるように両者を混合します。なお、測定に必要な量は物質によって異なり、タンパク質では1〜10 pmol/µL、酸性オリゴ糖では10〜20 pmol/μlです。

このようにして調製した試料を金属製のサンプルプレートの所定の位置(直径2mm)に1µLほど滴下し、乾燥させます。この時、イオン化促進試薬は結晶として析出しますが、この結晶の状態が目的物質のイオン化に大きく寄与するため、イオン化促進試薬の溶媒組成や混合の仕方が良い結果を得るキーポイントとなります。ペプチドの場合、質量が1000未満はα-CHCA (α-cyano-4-hydroxy cinnamic acid)が、1000以上はシナピン酸(sinapinic acid)が使われます。その他にこれらよりも冷たいDHB (2,5-di¬hydroxybenzoic acid)も使われます。また、タンパク質の分析にはHABA (2-(4-hydroxy¬phenylazo)benzoic acid)が使われ、さらに2種類を混合して使用する場合もあります。再結晶などで精製したほうが、タンパク質の解析には良いようです。

あるいはイオン化促進試薬溶液の被膜をサンプルプレート上に作った後に試料溶液を載せる方法(thin-film法)もあります。また、等電点電気泳動を行ったポリアクリルアミドゲル内に含まれるペプチドや、ゲルから膜に転写してサンプルプレートに貼り付けて分析した大胆な例もあります。これらの場合はイオン化促進試薬溶液を直接にスポットしています。試料中に塩や界面活性剤が含まれているとS/N比が上がらないため、サンプルプレート上で試料の洗浄・脱塩(オンプレート洗浄)を行う方法もあります。

測定の条件

一般にはポジティブ(イオン)モードで測定しますが、リン酸化あるいは硫酸化されたペプチド、オリゴヌクレオチド、RNA、酸性オリゴ糖などはネガティブ(イオン)モードで測定します。また、図7-1に示した例はリニアモードといわれるもので、フライトチューブをより長くした方が分離能も向上します。そこで試料イオンに2次加速電圧をかけて進行方向を逆向きに戻し、実質的に飛行距離を伸ばした効果を得るのがリフレクターモードです。


図7-2. MALDI-TOF MSによって測定された質量スペクトルの一例1)。試料はウシラクトフェリンから得た抗Cローブモノクローナル抗体結合性ペプチドで、ピリジルエチル化した後、endoglycosidase Hによる脱グリコシル化処理を行ったものです。

測定の結果

抗Cローブモノクローナル抗体結合性ペプチドの質量を測定する場合には、シナピン酸(sinapinic acid)をイオン化促進試薬として用い、質量の標準品としてアンジオテンシンI(ヒト、質量 1296.49)を用い、ポジティブモードを用いました。その結果、質量[M + H]+ として4069.42の値が得られました(図7-2)。ここでzはイオンの価数です。

なお、MALDI-TOF MSは測定可能範囲が広く、タンパク質の質量決定も可能です。しかし、ペプチドの場合に比べると、質量のはるかに大きいタンパク質ではきれいなピークを得るのはなかなか難しいようです。また、一般に高い分解能で同位体ピークが分離されて観測される場合には、単一同位体のピークの値をm/z実測値(monoisotopic mass)とし、分解能が低くて同位体ピークが分離されない場合には、ピークの重心の位置をm/z実測値(average mass)とします。

データの解析

分析機器の制御のため、パーソナルコンピュータあるいはワークステーションが用いられますが、得られたデータを解析するためのソフトウエアも付属しています。機器に付属のコンピュータを占有しないために測定データを他のコンピュータに移行させて処理するためのソフトウエアや、さまざまなエクスポート形式もサポートされており、いざとなれば一般的な表・グラフ作成用ソフトウエアで処理することもできます。

補足

a)MALDI-TOF MSはMatrix-assisted Laser Desorption Ionization-Time of Flight Mass Spectrometry(マトリックス支援イオン化-飛行時間型質量分析計)の略です。分子の飛行時間tは飛行距離s、分子の質量m、運動エネルギーEの関数で、実際にはsとEが一定となるため、tを測定することにより質量が決定できます。 t=s(m/2E)1/2

b) 質量分析装置は、もっぱら試料のイオン化方式とイオンの検出方法との組み合わせで呼ばれています。また、液体クロマトグラフィー(LC)やガスクロマトグラフィー(GC)の検出装置として用いられることが一般的になってきており、これら分離手段との組み合わせでLC-MSやGC-MS、あるいはLC/MSやGC/MSと記載されます。なお、日本質量分析学会の用語集ではハイフンあるいはスラッシュを使っても良いように書いてあり、どちらかに統一はされていないようです。

c) イオン化促進試薬(マトリックス)はエネルギー吸収分子(EAM)とも言われます。

d) シアル酸を持つ酸性タンパク質などの場合、イオン化促進試薬として2-amino-5-nitropyridineなどの塩基性のものを用います。

e) 一般にタンパク質・ペプチドのTOF MS測定の場合、イオン化促進試薬と混合した状態のpHを3以下とします。

f) レーザー光の強度が不十分だと検出に十分なイオンを得ることが出来ませんが、逆に上げるとイオン化した試料の初期運動エネルギーばらつきが大きくなり、質量測定の精度が下がります。

g) 微量試料の脱塩・濃縮にはODS(C18)ゲルなどを充填した小カラムを用いるのが便利です。ピペットチップ型のカラム(ZipTip)も市販されています。

引用文献

1)Shimazaki,K., et al., Advances in Lactoferrin Research, 41-48, edited by Spik,G., et al., Plenum Press (1998)

参考図書

田中耕一、島津評論、54(1) 9-16(1997)外部リンク
「新生化学実験講座1タンパク質II 一次構造」日本生化学会編、東京化学同人(1990)
「Proteins: Structure and Molecular Properties (2nd ed.)」, T.E.Creighton, 35-38, W.H.Freeman and Company (1993)
「Mass Spectrometric Analysis of Proteins」, by M.Wilm, Adv. Protein Chem., vol. 54, 1-30 (2000)
「新・生物化学実験のてびき2タンパク質の分離・分析と機能解析法」下西・永井・長谷・本田共編、化学同人(1996)
「バイオロジカルマススペクトロメトリー」、現代化学増刊31、上野他編、東京化学同人(1997)
蛋白質・核酸・酵素、45巻No.5(4月号) 735 -740, No.7(5月号) 1272-1278, No.8 (6月号) 1389-11394, No.10 (7月号) 1773-1780, No.11 (8月号) 1865-1871 (2000)
「基礎生化学実験法・全5巻」日本生化学会編、東京化学同人(2001)
「最新プロテオミクス実験プロトコール(細胞工学別冊 実験プロトコールシリーズ)」谷口寿章、秀潤社 (2003)
「見つける、量る、可視化する!質量分析実験ガイド(実験医学別冊 最強のステップUPシリーズ)」杉浦・末松(編)、羊土社(2013)
PerSeptive Biosystems 「Voyagerデータ集」

演習問題

問1.質量分析法にはMALDI-TOF MSの他にもイオン化法および検出方法の異なる方法があります。それぞれの方法の特徴を述べて下さい。

問2.ESI-LC/MS(ESI-LC-MS)とはどのような方法ですか。GC/MSあるいはGLC/MSと比較して述べて下さい。

問3.質量と重量は違うことは、たとえば同一の物体を地球上と月面で秤に載せた場合に異なることなどから理解できます。では、分子の質量と分子量は同じですか、あるいは違いますか。また、単位は何でしょうか。さらにDaという単位についても説明して下さい。

問4.質量分析に限らず、多くの測定機器で使われているS/N比の意味を説明して下さい。

問5.質量の測定に限らず、一般に各種の測定において「正確さ」とは何ですか。たとえば得られた測定値がどれだけ真の値に近いか、あるいは複数の測定において得られる値のばらつきの度合いについて説明してください。

問6..平均残基量(mean residual weight)という概念があります。これを用いて、本文で述べた質量が4069であるペプチドについて、構成しているアミノ酸残基の数を推定して下さい。

問7.何らかの方法によって精製し、他の分析手段で単一の成分であることが確かめられたウシラクトフェリンのMALDI TOF-MSによって得られた質量スペクトルを図7-3に示しました。質量が79463のメインピークと39800と158704の強度がやや小さいピークが観察されました。このことはどう解釈すればよいでしょうか。


図7-3.MALDI-TOF MSによるウシラクトフェリンの質量スペクトル

問8.炭素原子12Cの同位体と、それらの自然界に存在する割合いはどの程度ですか。また窒素原子およびイオウ原子についても述べて下さい。

問9.質量分析データを解析するフリーウエアがいくつかありますので、ダウンロードしてさまざまな操作を試みてください。サンプルデータも付属しているので、たとえば各ピークの質量値を表示したり、選択したピークだけにラベルを付ける、2つのピーク間の質量の差を表示する、スペクトルを拡大・縮小する、全体を枠で囲む、不要な情報を隠す、その他にメニューにある操作を怖がらずに試してください。なお、旧稿で紹介したフリーの解析ソフトm/z(moverz)は、すでにサポートは終了しているようです。読み込めるデータ形式も、以下に述べるMass++とは異なっていますが、下記のサイトから2021年12月1日現在も、ダウンロードが可能です(Windows用)。
http://www.moleculardetective.org/FPLibrary/FPLibraryMenu.html

島津製作所とエーザイ(株)が開発した質量分析データの表示・解析用のMass++がオープンソース化し、無料でダウンロード可能です(Windows、MacOS、Linux用)。使用許諾契約の画面でメールアドレスを記入すると、ダウンロード画面に進みます。サンプルデータは一緒にダウンロードされます。ビギナーズガイド(MassBeginners_jp.pdf)も忘れないようにして下さい。

Mass++標準のデータ形式はmspXmlとなっています。質量分析(MS)やLC−MSに付属のソフトウエアでは、さまざまなデータ形式の変換ができます。しかし、実際にMS測定に関わっていなくとも、サンプルデータで操作出来ますので、ビギナーズガイドに記載されているさまざまな操作を試してみてください。また、古い形式のデータが手元にある場合、moverzで読み込んで変換(export)し、Mass++でインポートできるデータ形式にしたり、逆にMass++に付属のサンプルデータを、動作の軽いmoverzで読込める形式にするなど工夫してください。なお、Mass++では新規のファイル形式への対応は、オープンソース・ツール&ライブラリのProteoWizardのfile-read機能を利用する方針とのことです。 (次章の問7に続く)
https://www.shimadzu.co.jp/mass-research/soft.html

 

提供:北海道大学名誉教授 島崎 敬一

(2022年1月 改訂)

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